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スタッフ座談会 バックオフィス編

スタッフインタビュー

難問担当先田 力哉Rikiya Sakida

取材日:2018年5月

2004年の入社以来、前職での製造業の経験、さらには実際にFLEXSCHEのインテグレーションを行ってきた経験を生かしてエンジニアとして活躍する先田力哉難問担当。現在はユーザー・パートナーがインテグレーションにおいて抱える課題を次々に解決する役割を担っている。その仕事内容を紹介するとともに、FLEXSCHEというソフトウェアに対する思いを語ってもらう。

レクシェ社における『難問担当』

先田さんはフレクシェ社でどのようなお仕事をされているのでしょうか?

特にこれと決まった業務内容はありません。人数の少ないフレクシェ社はみんなが何でもやるスタイルですから。ただ、私が普段からやることが多いのがメーリングリストやパートナーさん・ユーザーさんからの問い合わせへの対応などのサポート業務、FLEXSCHEの不具合修正や新規開発、マニュアルなどのドキュメント作成などです。サポート業務の割合が一番多いですが、今は新規開発の割合も増えています。

ユーザーやパートナーから、スケジューリングロジックにおける難しい課題の解決を先田さんが担当されることが多いと伺っています。

別に私がそういった難しい課題の解決担当として決まっているわけではないんですよ。ただ、私はロジック周りを扱うことが多いので結果的にそうなっているという感じです。私にとっては、他のエンジニアが担当しているユーザーインターフェース周りの課題だって難しいことは多いですから。

どんな時にそのような相談があるのでしょうか?

FLEXSCHEの導入にあたって要件に沿ったスケジューリングルールがなかなかできない時や、他の生産スケジューラとのコンペでスケジューリング結果の出来映えがお客様の判断材料になる時です。難しい制約条件のもとでのスケジューリングや、より精度の高いスケジューリング結果を出すために悩んでいらっしゃる方々からお声がかかります。

どうやってその難しい課題を解決していくのでしょうか?

まずはEメール、OpenDayなどでお話を伺います。そのお話を聞いて、「じゃあこの方法だな」という風にわかればそのようにお伝えします。でもその場ですぐ解決方法がわからない時もあります。そういう時は持ち帰ってうんうんと悩んで考えます。今もいくつか宿題を抱えているところなんです。

持ち帰らないといけない難しい課題はどうやって解決させるのですか?

やはり試行錯誤が必要ですから、いろいろな方法を試していくわけです。場合によっては新規の開発が必要になるケースもあります。2016年にリリースした『作業場計画オプション』はまさに10年来の課題を解決するものでしたね。

時間がかかっている場合など、解決のためのアイディアはどのように思いつくのですか?

例えば物理の知識からヒントを得る場合もありますね。物理現象は問題解決のエッセンスを含んでいることが多いです。あとは本当にぽっと頭に浮かんでくる時もありますよ。入社した当初、お客様がまさに「スケジューリングの出来映えで決めます」と言ったコンペがあったんです。その案件は過去の事例と似ていたので、そこそこのモノはすぐできたんです。でも『もうちょっと良い方法がある気がするなあ……』と悩んでいた締め切り直前時期、ほとんど夢の中にいるような朝方にふとアイディアが思い浮かんで、布団から跳ね起きて試してみたら上手くいった、なんてこともありました。お客様の目の前などの緊張状態の時よりも、そういうリラックスした状態の時の方が良い考えがまとまる気がしますね。

手製鋼メーカーでの生産スケジューラの導入経験

先田さんの前職について教えてください。

大学院卒業後に関西にある大手製鋼メーカーに入社しました。そこではロボットの電子制御を行う研究所に配属され、主に工業用ロボットに動作データを与えるためのソフトウェア開発をしていました。そこでプログラミングを覚えましたね。

プログラミングはその時からだったんですね。ちなみにどんな学生時代だったのですか?

学部時代はバドミントン部に所属して、勉学よりもそちらに熱心でした。大学院ではセンサーに関する研究室に入りましたが、その時も週3回は学部のキャンパスに行ってバドミントン部の学生コーチをしていました。あまり勉強においては真面目な学生ではなかったですね(笑)。

製鋼メーカーではずっとロボットに関わる仕事をしていたのですか?

10年くらい勤めた頃に部署の統廃合で生産スケジューリングシステムを担当する部署と在籍していた研究所が一緒になり、私もそちらの業務を担当するようになりました。

もしかしてそこで生産スケジューラーを開発したんですか?

その部署では当初、自前で生産スケジューラを作って納めていたのですが、その頃はパッケージソフトも良くなってきていたという評判を聞いて、試してみようと言うことになったんです。そこで当時の上司に「これを使ってみて」と言われたある生産スケジューラを試してみました。マニュアルを読んでみてもなかなか良いと感じたのと、その案件における課題もメーカーの代理店さん曰く「解決できる」ということだったので実際に採用しました。ちなみに、そのソフトの開発に携わっていたのが起業前の浦野だったんです。

創業前にそんなところで出会っていたんですね!

実際に会ったのはそのパッケージメーカーのアドイン開発のトレーニングに参加した時です。その時の講師が浦野でした。浦野は全然覚えていないらしいんですけど(笑)、私はその理路整然としたしゃべりと知識の深さに驚いたのをよく覚えています。

その生産スケジューラ導入プロジェクトは上手くいったのですか?

結果としては成功しました。でもかなりのすったもんだの末、という感じでしたね。先ほどのメーカーの代理店さんが「解決できる」と言っていたことが、マニュアルを読んでどう理解してもできそうにないことだったんです。メーカーに問い合わせてみたところ開発中の機能だと言うことがわかりまして、「試してみませんか」と言われたので使ってみたらひどい出来で(笑)。その機能はどうしても必要なのでメーカーに要望を出して調整してもらって試して、さらに調整してもらって試して、なんとか良いものになって稼働までこぎ着けたのですが結果的には予定のスケジュールを3カ月も押してしまいました。その後、別工場でも導入することになり、そちらは1回目の経験を活かしてすんなりと行きましたね。

複数の工場で生産スケジューラを導入した経験があるのですね。

そうです。今は開発側ですが、かつてはユーザー側の立場であり、SIerの立場でもありました。

FLEXSCHEと出会い、転職

FLEXSCHEは使わなかったんですか?

浦野が新しい会社を立ち上げたという話を2002年に聞き、東京の展示会まで様子を見に行きました。そこで初めて『FLEXSCHE Components』の存在を知りました。

その時の印象はいかがでしたか?

先を越されちゃったなあと感じました。過去2回の導入でパッケージソフトはコストを抑えられるけど、メーカーの開発力に依存するし、やりたくてもできないことが多いという風に感じていました。だったら、自分たちで新しいソフトウェアを作ろうと思い、社内でも話していたんです。汎用的なスケジューリングのためのデータ構造をカプセル化し、カスタマイズを前提に独自にロジックを追加できるようにし、ロジック部分を案件ごとに作る、というスタイルのソフトウェアを作ると社内で話をしていました。そして展示会でFLEXSCHEを見たら、そのアイディアに近い形で作られていたんです。だったらもうこのソフトウェアを使えばいいじゃないか、と思って3本目の導入ではFLEXSCHEを使うことにしました。

最初に考えていたとおり、自社でも作ろうとは思わなかったのですか?

いやぁ、この人(浦野)と競合関係になってもしょうがないかなって(笑)。ちょっと恥ずかしいけど、社内で掲げていたことは取り下げて、「FLEXSCHEを使います」と宣言しました。

その導入はいかがでしたか?

実はその導入の本稼働の前に転職したんですよ、フレクシェ社に。導入作業自体はほとんど済んでおり、本稼働の直前でした。

どうして転職することを考えたのですか?

こうした工場へのシステムに関わる仕事を社外でもやっていきたいと思ったんです。いろいろな工場にアルゴリズムを考えて、入れていくという仕事が楽しいと感じていましたし、研究所という枠組みではできることに制限がありました。もっと自分の考えたアルゴリズムをいろいろなところで活用させたいと感じていたんです。それと当時、フレクシェ社には製造業出身の社員がおらず、ユーザーとのつながりが薄いように見えました。だったら私が入れば、フレクシェ社にも良いのではないかな、と。そして自分から浦野に「私を雇いませんか」と売り込んだんですよ。その方が私は世の中に貢献できると確信していました。

すんなりと転職は決まりましたか?

もともと声をかけられて新機能開発時に関わったり、冗談ぽく「来ませんか」といわれたりしていたので採用自体はすぐに決まりました。引き継ぎの関係で1カ月ほど退職が遅れましたが、特にトラブルもなく。ただ、妻の反対はありましたね。以前の会社は兵庫の一部上場企業で、マンションも買ったばかりでした。そこから友人もいない東京へ、しかもまだスタートしたばかりの会社ですからね。

奥様のことをどうやって説得しましたか?

大学時代の後輩に元銀行員のコンサルタントがいたんです。そいつに相談してみたところ、「競争力があるし財務的にも問題ない。なによりこれから伸びていく可能性がとても高いので絶対に転職するべき」と言って、妻を説得するためのプレゼンテーションを一緒に考えてくれたんです。その資料を使ってプレゼンしました(笑)。妻も「そこまで言うなら……」と言ってくれて、転職が決まりました。それが2004年の時ですね。

社当時は「疫病神になってしまったのでは」と焦ったことも

当時のフレクシェ社はどんな状況だったのでしょうか?

当時はパッケージソフト『FLEXSCHE Maestro』、今の『FLEXSCHE GP』に当たるソフトウェアをリリースした直後で、これからどんどんとエンジンに実を付けていこうという時期で、ちょうどビジネススタイルの転換期にあったと思います。

先田さんは入社当初、どんな業務を行っていましたか?

FLEXSCHEのマニュアルを整備していました。当時はあまりわかりやすいという評判を頂けるモノではなかったので、それをわかりやすいものにしていきました。それと現在は行っていない業務ですが、もともとユーザー側だった経験を活かして、導入時のアドイン開発を行うことも多かったです。あとはエンジニアとして営業に行くこともありました。プリセールス活動ですね。

入社して感じたことはありますか?

それまで勤めていた会社とは対照的に、組織の構造がフラットで、話が早いし効率的だと感じました。大企業だと、報告業務やそのための資料作りなどに大きな時間を割かれてしまうんです。そういったことがないので、効率が良くて働きやすいと思います。

当時の印象的な出来事があれば教えてください。

入社してから2〜3カ月の間、フレクシェ社の売り上げが大きく落ち込んだんです。疫病神になってしまったのでは、と焦った時期もありました。そんな入社1年目、最初の展示会で対応したお客様の案件が印象深いです。その案件が他社とのコンペで、よりよいスケジューリングをするソフトウェアを採用する、という条件だったので頑張って良いモノを作り、大口の受注を取ることができました。これに限らず、コンペに関わって勝ち取った案件はどれも印象深いですね。

その頃はやはり忙しかったのですか?

たしかに今の方が帰宅する時間は早いかもしれませんね。でもその頃から今に至るまでずっと徹夜で仕事だとか、睡眠時間を削るだとか、そんな時期はありませんでしたね。むしろ前職の方が忙しかったです。パッケージメーカーなので、マイペースで仕事ができるのは良いところだと思います。

では、お休みもきちんと取れてプライベートの時間も取れているんですね。

そうですね。趣味や家族との時間も取れています。

休日はどのように過ごすことが多いですか?

中三と高三の娘がいるのですが、部活や受験勉強があるので妻と自宅で過ごすことが多いです。録画がたまったテレビ番組を見ることが多いですね。あとはバドミントンは今も趣味で続けているので、大学時代の部活のOBと一緒にやったり、大会に出たりすることもあります。

今でも大会に出るほど本格的に続けられているのですね。

実際にバドミントンをするのは月1程度ですが、気持ちよくバドミントンをするためにランニングや筋トレなどもしていますよ。

何か今まで出場した大会での成績を教えてください。

今までで一番の成績と言ったら……神戸市西区大会2連覇くらいですかね(笑)。

FLEXSCHEエンジニアの1人として

お仕事の話に戻りたいと思います。ユーザー側での経験は今のお仕事にどのように生きていますか?

例えば製造業ではどんな機能が望まれているのか、こんなことに困っているんじゃないだろうかと想像しやすいという面はあると思います。インテグレーションもやっていたので、パートナーの皆さんの状況も理解できます。苦労されている話を聞くと、そのつらさがよくわかるだけに何とかしてあげなくちゃ、と思うんですよね。

持ち込まれてきた課題を解決するにあたって気を付けていることがあれば教えてください。

カスタマイズする時は、できる限り複雑なものにしないことですね。実は私が前職で作ったものも徐々に使われなくなってしまったようなんです。複雑な課題もシンプルに考えてできる限り標準機能の範囲内で解決し、アドインを作るとしてもシンプルなモノにすることを心がけています。

先田さんはこの仕事のどんな時にやりがいを感じますか?

一番はお客様に喜んでもらえた時ですね。あとは自分が作ったものがお客様の元で活用されているのを見ると、「ちゃんと働いているな」とうれしくなります。それと新しい機能が完成した瞬間です。世界に今までにないものを自分が生み出すということは、ひときわの達成感があります。

逆にこの仕事をしていて辞めたいと思った経験はありますか?

ないですね。ここで働くことが自分が持っている能力を最大限に活かし、世の中に貢献するために一番効率が良いと感じています。浦野は「あなたにとっての天職でしょう。結果として先田さんのために会社を作ったようなものですよ」と言っていましたよ(笑)。

では最後に先田さんにとっての今後の目標、展望などを教えてください。

まずは溜まっている宿題をなんとかしていくことですね。展望というほど大それたことは考えていないです。目の前にある大事なことを解決していきたいですね。今やるべきことの延長に未来があると思っています。

なるほど、一つ一つを着実にということですね。

ただ、新しい技術も出てきていますから、今までとは違うアプローチも研究していきたいです。まだ技術的に大きなブレイクスルーは起こっていませんが、違う手法を取り入れることができる状況も生まれつつあります。そういった時勢をしっかりつかんで、新しいことにも取り組んでいきたいですね。

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